脩ちゃんと凛
(6)わすれられない

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 放課後。授業が終われば生徒は解放されるが、教員はそうはいかない。若くて体力がありそうだから、部活動の顧問をしていないから、などと理由を付けて受け持ちクラスを増やされた脩が、職員室の机の上にどれだけ仕事を溜め込んでいるか、生徒たちには知る由もない。
 今日の授業の質問があると言って廊下で呼び止められ、されたのは結局雑談。元気の有り余ったハイテンションのお喋りを十五分聞かされ、まだまだ続きそうだったので実際には無い会議をでっち上げて逃げてきた。
 質問や相談事があるなら聞くのも仕事のうちだが、よもやま話にいちいち付き合っていては、いつまでたっても帰れない。一週間の疲れがピークの金曜日、少しくらい早く仕事から解放されたい。
 「ネクタイ安っぽいとか靴下の柄面白いとか悪口だよな?」
 女子生徒の物言いは容赦がない。私立学校の教師など、所詮しがないサラリーマンだ。他に高給の学校があるかもしれないが、少なくともここではそうだ。毎日着る仕事着に金などかけていられない。
 大学の先輩から散々苦労話を聞かされていたため、元々こんな職に就くつもりなどなかった。新卒で就職の決まっていた企業が入社直前に潰れたから、仕方なく始めたのだ。この学校法人グループにコネがきいたことと、何かあったときのための保険として教員免許を取っていたこと、アルバイトで塾講師の経験があったこと、それがあってとりあえず、今の職場の系列校に収まった。とりあえずだったつもりが、辞めずに続けてしまっている。
 続けられたのは、忙しいとはいえ環境が比較的恵まれているせいだろう。この高校は、ほぼ形だけの試験を受けると系列大学へ内部進学できるので、国公立二次試験前期が間近に迫った今も、ピリピリした空気が流れていない。受験ストレスに縁のないのんびりしたお坊ちゃんお嬢ちゃん学校で、荒れた生徒が出てくることも滅多にない。件の先輩には羨ましがられる。
 この状況が望んだものかそうでないかに関わらず、給料分は働かなければなるまい。職員室の自分のテリトリーにつき、やるべきことを一つずつ片付けることにする。パソコンを立ち上げ、月曜日朝一番の授業で使うレジュメのデータを呼び出し、数種類プリントアウトする。次にコピー機の前で人数分印刷していると、今年度赴任してきた同僚の杉城がやって来た。
 「早瀬センセ、お客さんだよ」
 「誰?」
 また雑談の話し相手希望者だろうか、とこっそりため息をつく。
 受験勉強をする必要が無い者が大半のため、勉強熱心な生徒があまりいないこの学校で、ほぼ暗記科目と認識されている日本史の質問に来る生徒など滅多にいない。また、実質フリーパスで進学できる特権を捨てて系列外大学を受験したい、という真面目な進路相談なら、副担任しか持っていない脩ではなく、まず担任教師のところに行くのが普通だ。年嵩のいった担任より、脩の方が話しやすい、と言って来てくれることもあるにはあるが、系列外大学の受験希望者自体が少ないので、声をかけてくる生徒の目的はただの「楽しいお喋り」であることが多い。それが駄目なわけではない。ただ、忙しいときはやめてほしいと切実にお願いしたい。
 「あそこにいる」
 しかし、杉城が指した先にいたのは生徒ではなく、去年卒業した「元」生徒の相田レオだった。職員室の入り口で、彼はこちらに向かって軽く頭を下げる。
 「ああ、あいつか」
 だいたい用件はわかる。弟のことに違いない。予定が押すがこの件に関しては対応するしかないだろう。自分にも関わりのあることだ。コピー済みのレジュメと原稿を回収し、自分の机に置いてから、相田の元へ行く。
 「おう、どうした?」
 「突然ごめんなさい。ちょっと話したいことがあって……。時間、大丈夫ですか?」
 「いいよ。ちょっと待って」
 生徒指導室の鍵を取って来る。二部屋あるうち、一部屋は大概空いている。
 相田レオはもうここの生徒ではないとはいえ、彼の弟は脩が副担任をしているクラスの生徒なので、完全な部外者というわけではない。空いている部屋を使おうと文句は言われまい。文句を言われても謝ればすむ。
 「行こっか」
 申し訳なさそうにする相田を連れて一階分階段で上がって廊下を進み、奥まっていてあまり使われていない方の部屋の鍵を開ける。
 しばらく換気していないのか、少々ほこりっぽい。窓を開けようか迷ったが、寒いのでやめた。本棚と本棚に囲まれた狭いスペースには簡素な机とパイプ椅子があり、脩は奥の椅子に座り、相田には手前のものを勧めた。
 「どうぞ」
 「はい……、あの」
 「弟のことだろ?」
 「ええ、まあ」
 先日のバレンタインデーの日。相田の弟ミオは兄と一緒に、わざわざ脩の自宅までチョコレートを渡しに来た。付き合えないとわかっているが、どうしても好きだと言いたかったのだという。職員名簿を盗み見て自宅住所を突き止めたのは褒められない、というかその執念が怖いくらいだが、大した行動力だとは思った。
 相田弟は脩に進路相談しに来ためずらしいパターンだ。系列外大学の受験を考えているということだったため、担任とも話して希望に添う大学を紹介した。そのときのことがきっかけらしい。相談から恋が生まれるのはよくあるパターンなので、大きな驚きはなかった。ただ、こちらも気をつけているため、さすがに生徒からというのはそうそうあることではない。よくある、というのは完全なプライベートでの話だ。
 もちろん意図したことではなかったので、真剣に付き合っている恋人がいることを告げて、丁重にお断りした。あとは苦しい胸の内を喋りたいだけ喋らせると、彼は少しすっきりとしたような顔になった。
 若ければ若いほど立ち直りは早いので、おそらく大丈夫かとは思うが、兄に確認しておく。
 「学校では変わりなく皆と楽しくやってるみたいだけど、家ではどう?」
 「普通です。でも、部屋で一人で泣いてるっぽいことはあります」
 「そうか。まあ、また話聞いてやってくれよな。兄ちゃんのこと、信頼してるみたいだし」
 教師、しかも同性に対する恋心を打ち明けるなど、よほど信用していなければ出来ない。その弟の気持ちを受け止め、協力してやったのだから、この相田は良い兄なのだと思う。
 「そうしたいんですけど、あんまりずかずか立ち入るのもどうかなって思って」
 「話したそうにしてたらでいいよ。飯は? ちゃんと食ってるみたい?」
 「それは、はい」
 「なら大丈夫だ。俺だってさ、あれくらいの年の頃に振られたことあるけど、飯が喉を通らないくらいショックだったな。まあ、それも時間が解決したよ」
 「それって、相手は男の人ですか?」
 「……え」
 それまで遠慮がちだったのに、いきなり踏み込んできて、言葉に詰まってしまった。相田は自分の質問が脩の気に障ったと思ったらしい。慌てて言う。
 「あ、失礼でしたね。立ち入りすぎか」
 「いや、ちょっとびっくりしただけ。そうだよ。男だよ。なんでそんなこと聞くんだ?」
 「これからどう接していけばわかんなくて。ミオと……、凛太とも、だけど」
 「普通でいいんだよ、普通で。誰が好きかとか誰と付き合ってるかとかで関係変える必要ないだろ」
 「……そうですよね」
 相田は自分を納得させるようにうなずく。
 これで話は終わりかと思っていると、彼は突然前のめりになって机に両手を乗せる。
 「それで、ここからが本題なんですけど」
 「ここまでのは何だよ」
 「それも聞きたいは聞きたかったんですけど……。凛太のことで」
 「なに?」
 脩とのことで突っ込んで話を聞きすぎて怒られたとかだろうか。気になるだろう。友達に彼氏がいて、その相手が自分の知っている男だったら。それが当然だ。凛太は質問攻めにされるのを嫌がるだろうが。嫌なら適当に躱せばいいのに、と思う。
 しかし、脩の予想はかすりもしていなかった。相田は神妙な顔をして、とんでもない疑問を投げつけてくる。
 「あいつ、普段からあんなパンツなんですか」
 「……は?」
 「変なこと聞いてるのはわかってます! でも、バレンタインの時に見た凛太のTバックが頭から離れなくて。いつもあんなの穿いてるのかと思ったら、なんかこう、なんていうかなあ。こみ上げてくるものがあるというか」
 「興奮するってことか」
 危うく先生スイッチが切れそうになる。いつもは家の玄関のドアを開けるまでつけたままにしているのに。
 何を言い出すのだ、こいつは。脩は凛太と付き合っていると言わなかったか。言った。確かに言った。普通、思っていても口に出さないだろう。目の前にいる人間の恋人の下着事情のことなんか。
 だが、相田はふざけているわけではなさそうで、目は真剣だった。
 「興奮? どうかな、テンションは上がります」
 「お友達がTバック愛用しててテンション上がるって何事だよ。残念だけどいつもではないぞ。あの時だけだ」
 「そうですか。でも、それはそれで……。バレンタインデーだったからですか? イベント限定、いいな、うん、いい」
 「何がいいんだよ。……あのさ、お前、俺の前であいつのエロ妄想とか正気か」
 「エロい、と思ったんでしょうか、俺は」
 「知らねえよ。頭から離れなくて妄想でテンションが上がるんだから、そういうことなんじゃねえの」
 「ということは、性的な対象として凛太を好きってことですか。俺は男でもいけたんでしょうか?」
 ついに相田は立ち上がって身を乗り出してくる。知ったこっちゃない、と突っぱねてしまいたいが、生徒指導室、生徒指導室、と頭の中で繰り返して押さえつける。
 「だからなんで俺に……」
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