かえでシロップ
(3)マフラーと横恋慕

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 「あ、玉木先輩だー!」
 「……げ、藤谷」
 全身から有り余る元気を溢れ出させた、満面の笑みの男が近づいてくる。走り方も軽やかできびきびしていて野球部のようだ。来るなという念を送るも通じず、藤谷は楓の目の前に迫ると、選手宣誓のように右手を挙げた。
 「ピッカピカの一年生、経済学部の藤谷和真です!」
 「もうそれ、何回も聞いてるし……」
 勘弁してくれ、と内心で頭を抱える。初対面で愛の告白を受けた後、学内で三度待ち伏せされ、三度求愛を受けた。五分ほど話を聞いてやると、納得して解放してくれるのだが、毎回大声なのでそのたびに注目される。
 真剣に交際を求められているだけで、卑猥なことを言われたり身体に触られたりするわけではないので、わざわざ学内セクハラ相談窓口に電話するのも可哀想に思うのだが、迷惑なものは迷惑だ。またあのビッチが純粋な一年生を弄んでいるらしい、などと噂されているのを、こいつは知っているのだろうか。
 楓がしかめ面なのを全く気にせず、藤谷はうきうきと話しかけてくる。
 「先輩、何買うんですか? トースターですか?」
 「間に合ってるよ。トースターはお前が欲しいんじゃないのか」
 「そうです。よくわかりましたね! やっぱり俺たちは見えない何かで通じ合ってるんですね!」
 通じ合っていてたまるか。何とか亨が来るまでに追い返したい。犬にするようにあっちに行けと手を振る。
 「もういいから。その話は」
 「おすすめありますか? 一緒に選んでください」
 「店員に言えよ」
 「先輩と一緒に選びたいんです」
 断られても断られてもめげないこの精神力。これも一種の才能か? 営業職に向いているんじゃないのか。だが、楓を口説き落とすのにその才能を使おうとするのは間違っている。
 体調が万全でないこともあって、だんだんと苛立ってくる。
 「うるっせえな。今日はツレがいんの。今会計してんの待ってるだけ」
 「何買ったんですか?」
 「ホットプレートだよ。それ聞いてどうするんだよ」
 「彼氏ですか? 彼氏と使うんですか? お家で焼肉パーティーとかするんですか?」
 「ホットプレートだけでよくそこまで妄想できるな」
 正解だが。藤谷は頬を膨らませてむくれる。
 「ひどい。先輩、俺というものがありながら!」
 「はあ?」
 一方的に求愛してくるだけで、楓の方から気を持たせるようなことを言ったことは一度もない。非難される謂われは無いはずだ。やはり相談窓口送りにしてやるべきか。人権派弁護士のおかげで、あそこは仕事をするようになったのだ。
 しばし睨み合っていると、亨が戻ってくる。
 「お待たせ。アンケート書かされてて。……ん?」
 目が合うなり藤谷は亨に噛みついた。
 「あの!」
 「……はい?」
 「玉木先輩の彼氏ですか?」
 「え、ああ、うん」
 「先輩は俺の運命の人だから勝手に取らないでください!」
 またしてもフロア中に響き渡るような大音量だ。やめろ。土曜日で客が多いのに、ここでも注目を浴びてしまう。
 亨は困ったように曖昧な笑みを浮かべた。にっこり余裕を持って対応すべきか、毅然と厳しく対応すべきか迷った末、どっちつかずの表情になってしまった、というところだろう。突然のことだから無理もない。
 「そういうわけにはいかないなあ」
 「じゃあ勝負してください、勝負!」
 「何の?」
 「それはおいおい考えますから、ID交換してください」
 「いいけど」
 亨も藤谷もスマホを取り出す。なんだ、この流れは。
 楓は亨の腕を引っ張る。
 「おい、こんなやつ相手にすることないって」
 「いいじゃん。こいつやっぱ面白いわ」
 「ほら、先輩も交換の輪に入ってください」
 「やなこった」
 「先輩に連絡したいときは彼氏通さなきゃいけないなんて嫌です」
 「俺の方が嫌だ! ああ、もう……」
 とにかく早く追い払いたくて、楓も自分のスマホを出す。結局三人で交換することになってしまった。
 楓が『友だち』のリストに加わったことに満足したのか、藤谷はそれ以上絡んでくることなく去っていった。空気を読まずにぐいぐい近寄ってくるくせに、引き際を心得ているというか、こちらが本気で怒る前にさっと退場していく。これまでもそうだ。
 さらに疲れて、八つ当たりで亨の足を蹴る。正確には、蹴ろうとしたが、ひょいと避けられた。
 「まったく、あんなの無視すればよかったんだ」
 「あいつきっと悪いやつじゃないぞ。裏でこそこそせずに正々堂々ぶつかってくる感じが新鮮」
 「絶対めっちゃ絡んでくるって。あの調子じゃ」
 「まあなあ、そうかもしれないけど」
 背を押して促され、歩きながら話す。
 「どうしようもなく面倒になったらブロックすればいい話だろ。俺に絡んでる間はお前の方に行くこと減るんじゃね?」
 「わざわざ構ってやる必要ないって。あんなの適当にあしらっておけば、そのうち飽きる……」
 「俺がやりたいからやるの。気にすんな」
 少し乱暴なくらいに頭を撫でられた。そうやってまた楓は甘やかされるのに慣れていくのだ。
 人目を気にして、彼の指先だけぎゅっと握ると、すぐに離す。それだけのことで、彼は小さな異変を感じ取ったようだ。
 「なんか熱い?」
 「だって、もうすぐあの日だし」
 「そういやそうだったな」
 発情期予定期間の最中は薬を飲んで押さえ込んでいるため、予定期間に入る前の、徐々に身体が準備を始める数日の方が昂りやすい。
 彼は楓の耳元に顔を寄せ、そっとささやく。
 「いつもより匂いがやらしい」
 「なんだよ、それ」
 彼の息と声がかかった耳元がぞわぞわとして、腹の奥に響いた。触れあうくらい近くに寄るものだから、普段より心なしか甘い匂いをたっぷり吸い込んでしまい、余計にざわつきが大きくなる。キスしたい、なんて考えるんじゃない。楓はすぐ顔に出るらしいから。
 少し離れて適度な距離を確保しつつ、人の流れに沿って歩く。
 「家まで遠いなあ。もちそう?」
 我慢できないと楓が言ったらどこに連れ込む気だろう。それもいいかもーー、いや、よくない。あの場所が一番いい。
 「我慢する」
 「じゃ、早く帰ろ」
 いつの間にか、亨の住まいが楓の帰る場所になっていた。


 楓とヨドジマデンキに行った翌週の水曜日、仕事帰りの亨は藤谷和真とファミレスにいた。
 SNSのID交換をした翌日、さっそくメッセージが来て、『会って話を付けたい』などと言うのである。楓は行くなと反対したが、一度会って藤谷がどういった人間なのか知りたかった。
 まだ続いているという求愛行動への対策を練るには、相手を理解することが重要だ。今のところ略奪の脅威は微塵も感じないが、放っておいて求愛行動がエスカレートすると、楓が悩んで藤谷のことで手一杯になってしまうかもしれない。それは気にくわないので、前もって手を打っておく。
 日時は亨が決めた。土日を潰すのは嫌だったから平日、会社から早く帰れそうな水曜日に、仕事終わりで間に合いそうな時間。待ち合わせ場所は主要駅の近くと言うだけで任せると、ファミレスを指定された。なんというか、まだまだ感覚が高校生なんだなと思った。
 ここであまりゆっくりするつもりはない。楓がやきもきしながら待っているだろうし、一時間ぐらいで切り上げたい。
 味は期待せず、適当に腹にたまりそうなものを注文して、藤谷と向き合う。子犬のようなつぶらな瞳がこちらをじっと見つめ、眉根を寄せて口を引き結び、懸命に怒った顔を作ろうとしていた。吹き出しそうになったが、会って五分でそれは可哀想なので堪える。
 「それで、話って?」
 「先輩と別れてください」
 「直球だな」
 「オブラートに包んでどうするんですか? 先輩は俺の運命の人なんです」
 運命か。たとえ信じていたのだとしても、人前では恥ずかしくてなかなか言えないと思うのだが。藤谷は照れもせずに真剣だ。純粋で、それから思い込みが激しい。
 頭では冷静に分析しつつ、他人から「人が良さそう」と言われる笑みは崩さない。
 「聞いたよ。いい匂いがしたんだろ。それっていつの話?」
 「初めて近くですれ違ったとき……」
 「その時だけ?」
 「えっと、……ん? その後はしてたようなしてなかったような、よく覚えてませんけど、最初がとにかく強烈で」
 「よく覚えていない程度のことだった? ……ああ、どうも」
 定食を運んできた店員に礼を言い、藤谷の分も備え付けの割り箸を取って渡す。
 「ありがとうございます」
 「なあ、なんでそんなに運命の人とやらにこだわるんだ? そんなんじゃなくても付き合ってるカップルなんていくらでもいるだろ」
 「運命の人じゃなきゃ嫌なんです。付き合ったって、結婚したって、結局駄目になるんだから」
 「そんなことはないだろ」
 「そうですよ。俺の母親はオメガなんですけど、ある日突然、俺と弟と父さんを捨てて出て行きました。『運命の人を見つけたから』って言って。俺はそんな風になりたくないから、初めから運命の人としか付き合わないって決めてるんです」
 なるほど。運命の人へのこだわりには、ちゃんと理由があるわけか。ますます悪い人間には思えない。職場の後輩なら可愛がって育ててやりたくなるタイプだ。
 淡々と皿の上を平らげつつ、情報収集のためというより単純な興味から尋ねる。
 「そっか。苦労してんだな。じゃあ、今まで誰とも付き合ったことない?」
 「当たり前です」
 「へえ。いいな、純情で一途で。俺、そういうやつ好きだよ」
 「じゃあ、先輩と」
 「それとこれとは話が別だろ。別れてくれって言われて、わかりましたって別れてやるほど生半可な気持ちで付き合ってるわけじゃないの。オメガ性でフリーの子知ってるから、紹介してやろうか? 年上の女の子だけど。オメガ性にこだわらないんだったら、もっと選択肢増えるぞ」
 さりげなく求愛行動阻止を計ってみたが、藤谷は強情で、ソースのべったり付いた箸を握りしめながら首を振る。口元にもソースが付いていたが、指摘してやるべきか。
 「先輩じゃなきゃ嫌です。どうやったら別れてくれます?」
 「別れないってば」
 たとえ別れたとしても、楓は世話を焼かれたい側だから、藤谷のような母性本能刺激型には行かないと思う。別れないが。
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