かえでシロップ
(1)君と出会ってからの僕

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 「出かけるの?」
 「ああ」
 「またミコちゃんと?」
 「友達と。晩飯はミコちゃんのとこで食べてくる」
 「あんた、ミコちゃん以外にも友達いたの?」
 「当たり前だろ」
 「まあいいわ。ミコちゃんちにあんまり遅くまで居座っちゃ駄目よ。あの二人優しいから帰れとは言わないだろうけど、カップルにはいろいろあるの。まあ、童貞くんにはわかんないか」
 まったく、ババアと呼ばれた仕返しがしつこすぎる。手近にあった枕を投げる。
 「うるせえビッチ! 出てけ!」
 桜は容易く枕をキャッチし、高笑いしながら出て行った。


 前日の学校帰りに買った服を着ていく。断っておくと、別に今日のためにわざわざ買ったものではない。前々から欲しかったコートが安くなっていたから、それにあわせていろいろと揃えただけだ。
 駅の中、すれ違った女の子たちの視線を感じる。「今の人かっこいい」なんて声も。新しい衣装の効果が出ているようだ。彼女たちからの評価はどうでもいいのが、伊崎はなんと言うだろう。楓はたいがい何でも似合うから、悪い点数はつけようがないだろうけど。
 改札を出ると、待ち合わせ時間より十五分ほど早かったが、彼はすでにいた。
 「前に遅いって怒られたから」
 そういえばそういうこともあった。あのときは意地悪してやる気満々で出向いたっけ。
 「二回もドタキャンしてごめん。やっと会えた」
 伊崎は嬉しそうに見えた。彼も楓に会いたかったということなのか。そうだったったらいい。そうであってほしい。
 会いたかった。やっと会えた。ふと彼に抱きつきたい衝動に駆られる。抱きついて、あの匂いを胸いっぱいに吸い込んで、それから、それから。暴走し始める妄想に待ったをかける。公衆の面前で、なんてことを考えているのだろう。
 「……そんな顔すんなよ」
 「え?」
 「行くぞ。ちょっといいもん食わしてやるから」
 伊崎はそっと楓の背を押して促す。
 そんな顔ってどんな顔だよ、と聞いてみたかったが、些細な疑問はすぐに引っ込んでいった。うれしいうれしいと、そればかりが胸に溢れて詰まる。
 どうしたら、会いたいときに会えるようになるのだろう。いたいだけ一緒にいられるようになるのだろう。どうしたらいい?


 連れて行かれたのは、いつもの食べ放題ではない高級な焼肉店だった。次は鍋か焼肉以外に、と思っていたが、伊崎の中では、楓はとりあえず焼肉を与えておけば喜ぶ、ということになっているらしい。
 注文されたコース料理はそれなりのお値段がしていた。三回分まとめた値段、なんて伊崎は言うけれど、多分それより高い。今日は割り勘と宣言してはみたが、「ボーナス入ったから大丈夫。これで楓と食事してもらえるなら安い」なんて楓をまた赤くさせるようなことを言う。今日は楓もおかしいけれど、伊崎もいつもよりおかしい。
 お高いだけあって、出されたものはすべて美味しく、大満足以上の満足だった。
 デザートまで残さず平らげ、腹を撫でていると、周囲に視線を巡らせていた伊崎が言う。
 「あ、まただ」
 「なにが?」
 「さっき向こうの席に座った子、お前のこと見てた」
 「そりゃそうだ。だってイケメンだから」
 「自分で言っちゃう?」
 「謙遜する方が嫌味じゃね?」
 幼少期から、容姿だけは人に褒められてきた。もう慣れっこで、いちいち喜ぶものでもない。それにも関わらず誰とも付き合えていないのは、容姿以外に問題があるということだ。
 「前々から思ってたけど、実は女の子にもモテるんだろ」
 「面だけならね。性別でドン引きされる。身体は半分女の子なんでしょ、付き合うのは無理、レズビアンみたい、とか?」
 「ひどい話だな。好きになったら関係なくね?」
 「性別の問題だけじゃないよ。俺は口悪いし当たりきついし優しくないし。俺だって自分みたいなのと付き合うのは嫌だよ」
 「俺はいいと思うけどな。お前、面白いし」
 ほら、またそういうことを言うだろう。お前はそういうキャラじゃない、キャラを守れと一喝してやりたい。
 赤くなるのを止められなくて、うつむく。ちらりと見えた彼の表情が笑いを噛み殺しているように見えたのは気のせいだろうか。
 「そういえば、今日はなんでお洒落してんの。この後なんか予定あるの?」
 「ない、ないよ。なんとなくだよ。ああ、ミコちゃんちで晩御飯食べる約束はしてる」
 「じゃあ、まだまだ時間あるな。このあとどっか行かね」
 「どっかって?」
 「買い物でもカラオケでも映画でもバッセンでも。行きたいとこないのか?」
 「行きたいところ……」
 ということは、この後も一緒にいられるのだ。デートみたいだと思った。できるだけ長くいられそうなのは……、買い物はいけない。すぐに終わってしまうから。カラオケは音痴だから近寄りたくない。バッセン? バッティングセンターか。球技全般嫌いだから除外。映画はいいかもしれない。二時間はあるし、その後喫茶店にでも入ればまた長引かせられる。上映中の映画を思い出そうとして、浮かんだのは一つだけ。
 「ガズラモン見たい」
 「なんだそれ」
 「日本の特撮映画をリメイクしましたってやつ。この前テレビで特集してた」
 「いいよ。俺はなんでも」
 「空き状況チェックするわ」
 スマホで調べると、近くの映画館でかろうじて空きがあった。奢らせてばかりでは悪いので、チケットを押さえ、支払いまで済ませておく。
 映画の時間までは、映画館の入るショッピングモールをぶらぶらして過ごした。
 ガズラモンははっきり言ってつまらなかった。伊崎は途中から横で爆睡していた。お疲れのようだ。先週は土日が潰れたようだし、ちゃんと休めているのだろうかと少し心配になる。
 眠っているのをいいことに、じっと横顔を観察する。青白い薄明かりの中で、肌の質感が艶めかしく見える。触れてみたい。でも、起こしたらかわいそうだ。でも。でもーー。そっと指先を近づけて、ギリギリのところで引っ込める。いったい楓は何をやっているのだろう。本当に本当に今日はおかしい。


 映画を見てお茶をして、実琴との約束の時間に間に合うようにマンションに帰ってきた。スマホを確認すると、実琴からメッセージが来ていた。渋滞に巻き込まれていて遅れるらしい。内心万歳をした。
 「うわあ、ミコちゃんまだだって。もう少しかかるみたい」
 エントランスでエレベーターを待ちながら、期待して伊崎を窺ったが、帰ってきた答えは素っ気ない。
 「へえ。そこ出て角にコンビニあるけど」
 「なんでだよ。亨のとこで待たせてよ」
 「えー」
 「駄目なの。誰か来るのか?」
 「来ねえけどさ。お前、いいの?」
 言わんとしている意味はわかるが、わざと茶化す。
 「なに、俺にやらしいことする気?」
 「もうしねえよ」
 「じゃあいいじゃんか」
 「お前がいいならいいけどさ」
 もう少し。あともう少しだけだから。別れてしまえばまた一週間会えないから。お願い。もう少しだけ。
 部屋に招き入れられ、リビングに通される。家具は少なくシンプルなデザインのものばかりだが、絵がたくさんある。壁にかかっているもの、壁に立てかけただけのもの、棚に置かれたもの、大きさも描かれているものも様々。だが、不思議と雑多な感じはしない。バランスが取れているように思う。伊崎の知らない一面を覗き見ている感じがした。
 伊崎の作った彼のテリトリーは、彼の匂いで溢れている。うっとりと深呼吸したいところだったが、ただでさえ今日楓はおかしいのに、さらにまずいことになりそうなので我慢する。
 「換気してる? ちょっと窓開ければ。匂いこもってるぞ」
 「おう。自分では気づかないもんだな」
 キッチンの窓とリビングのベランダ側の窓、二カ所が開けられ、風が通る。
 このままでは寒いので、伊崎はヒーターとブランケットを持って来てくれた。並んでソファに座り、ヒーターに当たりながら、彼の入れてくれたコーヒーを飲む。
 楓はもう一度ぐるりと部屋を見渡す。
 「絵が好きなの?」
 「そうだな。いろいろもらったやつあるから、タンスの肥やしにするのもったいないし飾ってる」
 「すげえ。俺、絵なんかくれる知り合いいないや」
 楓は芸術関係はからきしわからないが、飾られているものが素人の作でないことは、なんとなくわかる。プロかプロに近い知り合いが複数いるということか。
 「大学時代の友達が引っ越し祝いにくれたり、保管しきれないからって置いてったり。仕事関係で知り合った人からもらったのもある」
 「仕事関係って、亨は絵の仕事してるのか?」
 「いや、お前の姉ちゃんと一緒の会社だよ。知ってるだろ?」
 「そうだった。ソラシラだろ。服作ってる」
 「二つともハズレ。ソラタリ。化粧品メーカー。なんで姉ちゃんの仕事知らねえんだよ」
 「だって興味ねえから。亨は化粧品作ってるの? 口紅とかおしろいとか?」
 「俺が作ってるのは中身じゃなくて箱や容れ物の方。他にも色々。化粧品メーカーに拘りがあったわけじゃないけどな。デザイナーができればどこでもよかった」
 姉の部屋にある大量の化粧品を思い浮かべてみた。具体的にどういったものがあったのかはよく覚えていないが、たしかキラキラして綺麗で、中身か容器かどちらが本体かわからないようなものがたくさん並んでいた気がする。作っているのはああいうものか。今日は伊崎の新情報がいろいろ得られる日だ。
 両足を抱えてブランケットを足に巻き付け直す。
 「へえ、ちゃんと働いてるんだな」
 「え、なに、俺のことニートだと思ってたの?」
 「そうじゃないけど、俺がバイトでしてるのって誰でもできることばっかりだし、プロフェッショナルっぽいのはすごい」
 「誰でもできるってわけじゃないけど、かわりはいっぱいいるんだよ。でも、自分に与えられた仕事だから一生懸命やるの。一部の天才のやることを除いて、たいがいどんな仕事でもそうだろ。お前も同じ」
 「そうなの? 同じじゃない思うけど」
 「同じだよ。そのうちわかる」
 「そうかなあ」
 そこで会話が途切れる。伊崎はコーヒーのおかわりを入れに行って、窓を閉めてから戻ってきた。
 静かになった室内でいっそう伊崎の存在を意識してしまい、楓はコーヒーを置いてスマホに逃げた。メッセージは入っていなかったので、適当なアプリを開いて閉じてを繰り返すだけだ。だが、その行為に気を紛らわす効果はない。伊崎の気配、息遣い、匂い。どうしてこんなに、他のことが全部どうでもよくなるくらいに、いい匂いがするんだろう。
 「……やっぱお前、いい匂いすんのな」
 一瞬、自分の心を読まれたのかと思った。
 「体臭、みたいなもんだよな? オメガってみんなそうなのかとも思ったけどさ。他に知っているやつ何人か思い出してみても、いい匂いだとか、あんまり思ったことなかったなって」
 「柔軟剤じゃないか。姉ちゃんが凝ってる」
 「違うだろ、たぶん」
 彼は髪に鼻を寄せてくる。近づいた分彼の匂いも強く感じる。頭がくらくらする。心臓がうるさい。ヒーターで暖まった身体が、ますます熱く感じる。
 伊崎の手が、楓の髪に触れるか触れないかというところで、宙を撫でた。触ってくれたっていいのに。
 つむじの上でため息が聞こえる。
 「なんだよ、お前。今日煽りすぎなんだよ。俺のこと試してる?」
 怒ったようなぶっきらぼうな口調。急にどうして。
 「『触ってくれたっていいのに』って、今思ったろ」
 「……え」
 「言っとくけど、俺エスパーじゃないからな。お前、顔に出すぎなんだよ。今日一日ずっとそうだ。挙げ句にうちまでついてくるし。どういうつもり? 途中まで面白がってたけど、だんだん腹立ってきた」
 考えていることが顔に出ている? 他には何が? どこまで? どうして腹を立てられている?
 顔を覗き込んできた彼をじっと見返す。近い。キスでもしそうな距離。
 「……おい。今また変なこと考えてるだろ。エロい顔して色気垂れ流しにするんじゃねえよ。そんなんで我慢しろって無茶だわ」
 「ごめん。今日、俺、おかしい。久しぶりに会えたのがうれしすぎて、舞い上がって、わけわかんなくなってる」
 「そういうこと言うのもやめて」
 「俺だってわかんないんだよ。何でお前といると、俺、こんな風になっちゃうの?」
 「だからやめろって。発情期のあのときみたいになりたくないだろ?」
 「今は発情期じゃない。病院、ちゃんと行ってるから」
 「そういうことじゃない」
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