かえでシロップ
(1)君と出会ってからの僕

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 その次の週末に二回目の食事に行った。三回目はどうしようかなと思っていると、伊崎から誘ってきたので、またその次の週末も会った。その次、その次、と続けていくうち、毎週末、昼食か夕食を一緒に食べるというのが当たり前になってきた。
 彼は大学のアルファ男のように楓に気持ち悪く迫ってくることはなかったし、単純に話していて楽しい、気のいい男だった。楓はいつの間にか、彼との食事を心待ちにするようになっていた。新しい友達ができてうれしい、多分そんな感じだ。あんなことから始まったのに自分でも不思議だ。
 夏の終わりのような秋の始まりに出会って、季節は緩やかにうつろう。秋の終わり。十一月半ばを過ぎたころ。
 楓たちは居酒屋で肉鍋をつついていた。この前はまた焼肉だった。その前も店が違うだけで同じ。何が食べたいか聞かれ、あまり小洒落た店が苦手なので、「とりあえず肉」になってしまうのだ。伊崎はたいてい楓の案に意見することなく受け入れた。
 支払いは変わらず伊崎がしてくれていた。もうそろそろ奢ってもらってばかりでは悪いのはわかっている。しかし、割り勘にすると言い出せずにずるずる来てしまっていた。
 「次、それお願い」
 「はいはい……」
 楓はときどき灰汁を取るだけで、具材を入れる順番やタイミング、場所を細かく指示し、食べることに専念していた。支払いのことだけではなく他にも遠慮することがあるだろうと言われそうだが、我が儘が通るのは気分がいいので、ついつい任せてしまうのだ。彼はそれにときどき文句は言うが、そう強くは出ない。他人の世話焼きが好きなタイプなのか。でも、焼肉はあまり自分で焼いたことないと言っていた。
 次は鍋と焼肉以外にしよう。店側で全部やってくれるところ。世の中にはそんな店の方が多いはずなのに、なぜか毎回伊崎を扱き使っているような気がする。
 火が通るのを待つ間、取り皿の中身を口に運ぶ伊崎を、箸の使い方が綺麗だなと思いながら見ていた。楓は持ち方が少しおかしい。社会に出たら笑われると姉は言うが、今更直すのも難しい。
 じっと見ているのも変な気がしたので、目線をそらす。このところ、こんなことがよくある。気づいたらぼんやり見つめてしまっているのだ。伊崎は何か注目してしまうような突飛な行動をとっているわけではないのに。
 おかしい。何かが。具体的にどうとは、まだ言えないけれど。軌道修正しなければ。いつもの自分がしていそうなこと。
 何気なく視線を動かし、自分の斜め前、伊崎の斜め後ろにいる四人組の女性客に目を留める。
 「あ、あの子かわいい」
 「え、誰?」
 「あの髪長い紺のワンピの女の子」
 彼女らの席を小さく指さしてすぐに引っ込める。振り返ってそれを確認した伊崎は心底意外そうだった。
 「女の子なんだ」
 「あー、それ、その反応ね。オメガだから男好きって決めつけてくるヤツ何なの? 俺は女の子と付き合いたいの!」
 「へえー」
 「女の子がいいって言ってるのに、寄ってくるのはアルファ男ばっかり。うざすぎ」
 男に言い寄られるのは気持ち悪い。そのはずだ。今までずっとそうだったんだから。
 灰汁係のはずの楓がやらないので、伊崎は自分でお玉を取った。
 「そんな男にモテモテなの?」
 「あいつらどっから嗅ぎ付けてくるんだろうな。こっちから性別明かしてるわけでもないのに、大学でもよく絡まれる」
 「匂いじゃね。お前、すごくいい匂いするから」
 いい匂い? 普段、特別香りのあるものはつけていないが。強いて言えば姉が凝っている柔軟剤くらいか。いい匂いがするのは伊崎の方だ。隣に座るだけで匂いに酔いそうになることがある。酔いそうというのは、楓を不快にさせるわけではなくて、ふわふわといい気分にしてくれるということだ。あの匂い、嗅ぎたいな。いや、話の途中だ。
 「匂いわかるほど近く寄ってねえわ」
 「じゃあ単純に噂が広がるんだろ。珍しいのがいるって」
 「迷惑。すげー迷惑」
 「毎週のように会ってるけど、俺はいいの?」
 「いいの。だってあんなことから始まったけど、あんた、俺に下心あるように見えない」
 下心のあるやつは気持ちが悪い。伊崎は気持ち悪くないから、きっと下心はない。
 彼は灰汁取り作業を止め、くたくたになった鍋の野菜を楓の皿に放り込む。
 「信頼されてるんだか舐められてるんだか」
 「両方」
 「後半は否定しろよ」
 煮込まれすぎた白菜は、肉のだしを吸っておいしかった。

 
 今回も結局伊崎に会計してもらい、店を出る。
 十一月に入った途端、街はハロウィンからクリスマスデコレーションに総着替えした。毎年思うが見事な早業である。これからクリスマス本番に向けて、街の雰囲気はますます甘さを増し、胸焼けするくらいに変わっていくのだ。
 男二人では居心地が悪いはずなのに、隣を歩く男の匂いを吸い込んでうっとりとしている楓は、やっぱりどこかおかしいのだった。
 「これからどうする?」
 問われ、しばし考える。もう少しだけこうしていたい。ぶらぶら歩いて、くだらない話をして、それだけでいい。でも、それをどう伝えたらいいんだろう。
 彼はどうだろう。もう帰りたいのだろうか。そもそも、こうして毎週楓と会うことを、彼はどう思っているのだろう。一緒にいて無駄話をしているときは楽しそうにしているようには見える。惰性で嫌々会っているわけではないと信じたい。
 もう少し、もう少しだけって、言ってもいいかな。だってこのまま別れると、また一週間会えない。
 「あの……」
 「……あ」
 伊崎はポケットからスマホを取り出す。着信だろう。振動している。
 「ごめん。仕事の電話だ」
 「うん。どうぞ」
 彼は近くの商業ビルの軒下に入って電話を取った。楓もそれについて行くが、聞いていい内容かわからないので、少し離れたところで待つことにした。壁にもたれかかってスマホを取り出すも、何のメッセージもなかったので仕舞う。
 街路樹の電飾についた電球の数をぼんやりと数えていると、聞き覚えのある声がした。
 「あ、楓ちゃんだー」
 大学でしつこいアルファ男二人組だった。なんで休みの日までこいつらの顔を見ないといけないのだ。ややこしいことを言い出す前に逃げだそうとするも、二人に挟まれる。別に怖くはないけれど、せっかく浮かれた気分のときに、いつものように怒鳴って撃退するのは気が進まない。それに街中だから恥ずかしい。
 睨んだだけでは当然引き下がってはくれない。
 「俺らこれから昼飯行くんだけどー」
 「お前らよっぽどモテねえんだな」
 「そういう楓ちゃんだって一人じゃん」
 「そうそう。一緒にご飯行こ」
 「俺は……」
 一人じゃないし、お前らとは行きたくないし、そもそも昼飯食ったばっかり!
 言葉が続かなかったのは、後ろから肩を持って引き寄せられたから。
 「お待たせ、楓」
 電話を終えたらしい伊崎だった。彼は邪魔者二人に笑いかける。
 「お友達?」
 「友達じゃない! 同じ大学なだけで……」
 「へえ、そう。こんにちはー」
 「挨拶しなくていいし!」
 距離の近さにどぎまぎし、目が泳ぐ。匂いに気を取られるから近くなりすぎないよういつも意識しているのに、まったく心臓に悪い。
 邪魔者たちは不満の声を上げる。
 「えー、なんだよ。彼氏かよ」
 「はあ? そんなこと」
 あるわけない、と言おうとしたが、またもや遮られる。
 「そうです。よろしくね」
 「なんだ。彼氏いんの。男ダメとか言ってたくせに」
 「楓ったら恥ずかしがりやさんなんだから」
 「だからちが」
 違う、と否定させてももらえない。
 「ねえねえ、さっき大きな取引まとまったから、お祝いしよう! なにかほしいものある?」
 「え、いや……」
 「行こ行こー。じゃあね。お兄さんたち」
 伊崎は憮然とする男たちにひらひらと手を振った。さりげなく楓の肩を抱き、歩き出す。近い近い近い。もろもろ思い出したくないことを思い出すからやめて。やめてほしい、はずなのに彼の手を振り払うことはしなかった。そう強い力ではないから、やろうと思えばできたのに。
 充分離れたところで解放される。温もりが名残惜しいのは、風が冷たいから。
 「……どういうつもり」
 「よく絡まれるってああいうやつらだろ? 彼氏いるってわかったら、もう近づいて来ないんじゃないかっていう親切心から芝居してみました。ちなみに大きな取引なんて成立してないよ。そもそも普段そういう仕事してないし」
 「何そのどうでもいい嘘」
 「ハイスペック彼氏を演出したんじゃないか。その方が諦めてくれるかと思って」
 「大きな取引イコールハイスペックってざっくりしてんな」
 「あはは。アドリブ力が足りないもんで」
 そうだ、ただの親切なんだ。なのにどうして、こんな痛いくらいに心臓が騒ぐんだ。彼氏という響きは意外と悪くないかも、なんてどうしてそんなことを考える。動揺しすぎて「助けてくれてありがとう」も言えなかった。
 そうだ。発情期のセックスなんてとんでもなくショッキングな経験をしたせいで、脳が勘違いしているのだ。彼に特別なところなんてないだろう? 馬鹿にせずに楓の話を聞いてくれたり、楓を不快にさせるような言動をしなかったり、妙に馴れ馴れしいところがなく、かといってよそよそしいわけではなく、心地よい距離感を保ってくれたり。一緒にいて居心地がよく、違和感がない、それだけの男。ああ、あとすごくいい匂いがする。特別なことなんてないはず。ないないない、と心の中で繰り返す。
 もう少しだけ一緒にいたいとは言い出せず、その日はそのまま別れてしまった。


 翌週金曜日。やっと週末、と開放感でいっぱいの中、伊崎からメッセージが入った。
 『出張が入った。担当者の嫁が切迫早産?とかで入院して、病院でついててあげたいとかなんとか言ってるから、俺がピンチヒッター。ごめんね。明日行けない。また来週お願いします。』
 社会人なんだから、そういうこともあるだろう。別に残念なんかじゃない。それにしても、次の週末まで長いな。
 待ちに待った次の週末。またメッセージが入った。嫌な予感におびえながら開けると、案の定だった。
 『うちの販促イベントで人手が足りないって。土日に俺も駆り出されることになった。本当にごめんなさい。』
 ーーまたかよ!
 講義中だったので、心の中で叫ぶ。二回も予定が流れた。また一週間待つことになる。
 もしかして、実はもう会いたくないのか。いい大人が二十歳になったばかりのガキに生意気な口をきかれ、毎回毎回奢らされ。そう、嫌になるのもわかる。ミスキャンパスレベルの美人女子大生ならともかく、楓に我が儘を聞いてやる価値などあるのだろうか。
 割り勘にすると言えばよかった。せめてご馳走してくれてありがとうって言えばよかった。調子に乗って我が儘放題しなければよかった。後悔先に立たず。まさしくその通り。
 今度は楓が出すから、会うだけでも会ってくれないだろうか。ああ、そうか。楓は会いたいんだ。とても会いたい。会えなくて寂しい。あの匂いが恋しい。ルーズリーフの隅に『恋しい』と書いてみる。うつむいて、一人で赤面する。恋しいって何だ。恋って。まずい。思考が乙女のようになってきている。こんなのは自分らしくない。
 次いつ会えるか聞いてみようか迷い、結局聞けずに翌週水曜日になった。伊崎の方からメッセージが来た。
 『土曜日、前の約束と同じ十一時でいい? 場所も同じで。』
 また会えるのだと思うと、踊り出したくなるくらい嬉しかった。すぐさまOKの返信をしたが、張り切っていると思われたらどうしよう。


 約束の日。三週間ぶりに会える日。
 自宅の自室で着替えるために服を脱いでいると、突然部屋のドアが開く。姉の桜だ。
 「おいババア! ノックぐらいしろよ!」
 脱いだばかりのTシャツを投げつける。彼女はそれをわざわざ拾って投げ返してきた。
 「このクソガキ、誰に向かって口きいてんのよ!」
 「目の前のアラサーババア」
 「アラサーはババアって言わないの! 女性に対する気遣いってものが足りないから、あんたはいつまでたってもモテないのよ」
 「ああ!?」
 痛いところを突かれ、すぐさま言い返せないのがつらい。
 世間一般が持つオメガ女性のイメージは、『かよわい。可憐。守られないと生きていけない』というものだが、桜はその正反対。腕っ節が強く口達者で、男を踏み台にしてのし上がるキャリアウーマンだ。
 桜は楓とベッドに並んだ服を交互に見た。
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